端っこにメモ。

そんな感じです。

私という小さな社会

色々考える時間があると、色々考える。

世間ではNEWSで色々と話題が上がるが、それに1つとして当てはまらない私という1人に対しても、じっと考えれば小さな社会が取り巻いている。

人間関係で行けば、家族、親族、友人はもちろん、近所、同級生、職場(渡り歩けば旧職場)、はたまた家族の知人、友人の友人、遠くなればSNSでの文字や声だけでの知り合いなど様々だ。

それを意識してからか、私が小さな社会を形成していく中で、(意識的であっても、無意識であっても)その組織員をどこまで巻き込むか、そんなことを考える様になった。

きっかけは父の葬儀なのだが、アレをもし生前に父が見たら「こんな末端まで来ちゃいましたか」と思うほど、並の一般人が予想する多く参列していただけた、という事だ。

父は"来るものを拒まず、来たからには酒飲んでいきなさい"がモットーのような、どんな人にも優しくウェルカム人間。実際、その1回の優しさを覚えていて感謝で泣いていた方もいた。

なぜそんなことを書くかというと、私はそんな父は凄いし見習いたいと思う反面「それ、厳しい、できなく無いけど無理しちゃう」と感じるからだ。

話がそれたので元に戻すが、上記の様に、私が小さな社会を形成していく中で、その組織員をどこまで巻き込むかということ、すなわち、生きるということと、その後の死ぬということにも関係するということ、それを考えている。

どこまで私という存在に巻き込むか。
また、巻き込まれてくれるのか。

裾を広げる事が怖いと今まで感じたことがなかった、その社会形成を今後、自分でコントロールしなくてはならない現実に、少しだけ、少しだけだが、震える自身がいる。

父からもらった1番の遺品、世界への飛躍の意味を込められた名前。それに見合う人選を、これから、1歩ずつ。

世間は、明るく良き人ばかり。
悲しき人を救えど引きずられない。
1歩ずつ、進もう。